「クマバチの飛行」

あのものすんごい忙しい曲のことじゃなくて。
今回はヒコーキネタでひとつ。

 

割と有名な、エピソードというのか何と言うのか、「クマバチは航空力学上、飛べるはずが無い。それなのに何故クマバチは飛べるのか? それは、彼らが自分は飛べないということを知らないからだ。」という話しがあります。

ここから、「不可能を可能にする」という意味のシンボルとしてクマバチが使われたり、純真無垢であることの大切さ、自分から限界を決めてはいけない、みたいなお話しに繋げられることがよくあったりします。

そういう「お話し」としては、僕も良い話だと思います。
個人的に実感があるのは、やっぱ研ぎなんかについてでしょうかね。研げない頃なんていうのはもうホントに、こんなコト本当に可能なのか?って、つい思っちゃう。俺が下手なんじゃなくてもともと無理なんじゃねえのか、って、つい言い訳したくなっちゃう。

でも実際にやってる人が、それも一握りってんじゃなく大勢居るんだから、絶対出来るんですよね。超ハイレベルな世界はまた別だけど、最低限のことろまでは誰でも必ず出来る。自分だって出来るはず、と信じてとにかくやるしかない。出来ない自分に負けてはいかんのですね。

 

と、「お話し」としては実に良い話だと思うのですが、ただ時々、本当にクマバチってのは飛べるはずがないのだと信じてしまう人も居るようで。

もしそうだとすると、この世界では思い込みや気合いの力で空を飛ぶことが出来る、ということになってしまい、ということは、極論するとドラゴンボールの舞空術は実際に可能である、ということになってしまうのではないのかと。
舞空術が可能なのであれば、かめはめ波だって、本気の本気で死ぬ気で出そうと思えばもしかして!

残念ながらそんなわけは無く、この話しは随分昔の、「その当時の」航空力学では、クマバチがなぜ飛べるのか解明できなかった、という話しであって、今日では既に合理的な説明がなされています。

レイノルズ数という、流体の粘性に関する法則が発見されたおかげで、小さい虫にとっての空気は、人間や大きな鳥にとっての空気よりも、ずっとねばねばしたものである、ということが解ったんですね。この「ねばねばした」空気中という条件で計算すれば、ちゃんと飛行可能という結論が出るとのことです。

というわけで、もし小さいお子さんにお説教的にこのエピソードを紹介するようなことがあるとすれば、実はちゃんと飛べることが後になってから解ったんだけどね、まで含めて言ってあげる方が良いんじゃないかと思います。

漫画やアニメ、あるいは御伽噺のようなあからさまな作り話と違って、さも本当の話しであるかのような言い方で嘘を教え込むのはいかがなものか、という基本的な問題も当然あると思いますが、まあそれを別として「お話し」としても、最後まで教えてあげる方が良いんじゃないかと、僕は思います。

先ず、やる気がなけりゃ何も出来ない始まらない、というのがありつつ、しかしやる気だけで何もかも解決するかってぇと、そーゆーわけにはいかない。現実的な裏付けが無きゃいけない。というところまで順序良く話せて、バランスは良いと思うんですけどね。どんなもんですかね。

 

 

さて。
実は、航空力学の黎明期にはこのエピソードの逆のようなことがおきていました。つまり、計算上は飛べるはずなのに、何故か飛べない、ということ。そういうことが、リリエンタールだとかライト兄弟だとかの時代には、あったのですね。

ちなみにリリエンタールとかライト兄弟とかの時代というのは、19世紀末とかそのあたり。リリエンタールがグライダーで墜落死したのが1896年。ライト兄弟が人間搭乗の動力飛行機の初飛行をやったのが20世紀の頭もド頭、1903年。

もうひとつちなみに、計算なんつーものがそれなりに有効になってきたのは、18世紀後半とか大体そのくらいからかと。というのも、ベルヌーイとかオイラーとか、そーゆー人達が空気力学の基礎を築いたのがそのあたりなんで、まあ大体そのくらいからと思っていいんじゃないかなあ、と。
もひとつ言えば、ケイリーって人が翼の揚力に関する論文を発表したのは19世紀の頭。

で。
たとえば、空気の力を求める為の計算に使う係数、スミートン係数とかいうやつが、長いこと間違ったまま使われていて、そこから算出した数値は2倍ぐらい大きくなってしまったそうです。そのため、計算上得られるはずの揚力の、半分くらいしか実際には得られていなかった、なんていうことがあったのだとか。

また、翼の形状、厚みの膨らみぐあいだったりとか、上から見た時の形だったりとか、がおよぼす影響についても昔は研究が進んでいなくて、違う翼形状のデータをそのまま応用して計算しちゃったりとか。そこでまた大きな誤差が産まれちゃったりとか。

そんなこんなで、なかなか計算で推測した通りの結果が得られずに大変だったそうです。

で、そういう時に、精神力でなんとかしよう、なんてことはしません。飛べると本気で信じれば飛べるはず、なんてオカルトに頼ったりゃしませんでした。少なくとも、リリエンタールやライト兄弟は。

じゃあどうしたんだって言ったら、自分で実験して現実を確かめたんですね。実際に得られる揚力を確かめ直す。そこで得られた数値を基にして計算の誤差を修正して、必要な揚力を得られる翼を作っていったわけですね。

ただ、基礎研究にしろ実機の設計にしろ、模型を使った実験ではどうしても埋められないズレもありました。それは先に述べたレイノルズ数ってぇやつの問題で。小さい模型と大きな実機とではレイノルズ数が異なる、つまり空気の振舞いが違うので、模型で得た結果をそのまんま実機にあてはめると、絶対にズレが出ちゃうのでした。

このレイノルズ数の重要性が広く知られるようになったのは、20世紀の頭でライト兄弟のフライヤー号初飛行の少し後のこと。それから後は、計算や風洞実験の精度は飛躍的に高まったのでした。

あとアレね。クマバチが何故飛べるのか、もレイノルズ数のおかげで解るようになったのでした。

 

 

こーゆー話しをしちゃうと、夢が壊された、って思う人も居るかも知れません。クマバチには、無垢な夢か気合いで飛んでいて欲しかった、その方が良かった、と。そーゆー人には、無粋な話ししちゃってすいませんでした。

でも、僕個人としては、色々研究したりして一歩一歩現実に近付いて行く、っていう話しにも、いや「にも」というよりも「の方が」、夢を感じるんですよね。

普通学校とかではそんなに細かいところまでいちいち踏み込まないので、ある日ポコンとライト兄弟が飛行機を発明しちゃった、ライト兄弟マジすげえ。みたいな印象になってしまっているかも知れませんが、やっぱりそんなわけは無いんですよね。

先に述べたように、超ビッグネームをざっくり挙げただけでも、リリエンタールやケイリー、オイラーにベルヌーイといった人達の積み重ねがあり、もっと言えばそれはニュートンまで遡るべきでしょうし、そしてそのニュートンが「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに私が巨人の肩に乗っていた(先人達の積み重ねの上に立った)からです。」という言葉を残しています。

その膨大なる積み重ねの一つの到達点として、あの時代に動力飛行機が実現した、ということなんですね。ライト兄弟が居なければ現在でも飛行機は存在しないかと言えば、それは絶対にない。絶対に他の誰かが実現させていたでしょう。それはもう、間違い無く。

 

とまあ、そーゆーよーなコトに心惹かれる僕としましては───今から無理矢理カホンに話しをもってって強引に締めるんですが(笑)───今僕がやっていることなんかも、長い長い時間の流れのなかで、積み重ねの一つとなれれば良いなあ、と。積み重ねるだけの価値のあることが、出来ていれば良いのになあ、と。そういうふうに思ってたりなんかします。
いや結構マジでね。

2009年10月15日 川口 大

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